平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

トップページ»  絵のある待合室 第9室

絵のある待合室 第9室

 

絵のある待合室81


 

 福田新生 「静物」 20号 1940

 

福田新生を知ったのは、彼が同郷(福岡)の先輩である遠山五郎について語った記事を読んでからだ。彼には芸術的文才のきらめきがあり、著書も多い。19歳の初出品で光風会賞を受賞し一水会、日展と画壇の地位を築いていったが、私は彼の戦前作品を探していた。そんな時、出会ったのがこの作品である。古きよき時代の光風会、一水会の雰囲気が品よく爽やかに描かれている佳品である。今となっては描けそうで描けない静物画ではないだろうか。福田新生「美術と思想の話」昭和22年はおススメである。

 

絵のある待合室82

 

 

   土方久功 「孤島」 1952 79x60x4㎝ 第2回丸善個展出品作(1953)

 

 この作品も前出の「巻き毛」と同じ第2回丸善個展に出品され、以後各展覧会に出品されて来た土方の代表作の1つである。後年、水彩画でも描いているし孤島という詩も作っている。土方の人生は実にドラマチックで、その幅広い交友関係も興味深い。画家、彫刻家、詩人としての業績はもちろん、南洋民族学者としての彼の仕事の内容は群を抜いており、学術的に見ても世界に誇れる偉業である。彼が残した芸術作品とともに更なる再評価が待たれる。しかしながら、不可思議で柔らかで忍耐強く強靭なこの作家の魅力は他の作家とは異なる次元であるとつくづく思う昨今である。

 

絵のある待合室83

 

燻し銀の画家 山下大五郎「栗と柿」 1963 10号                        

 山下大五郎と言えば晩年の安曇野風景を思い浮かべる方も多いであろう。しかし、私とって山下大五郎は平塚銘柄であり、萬鉄五郎の愛弟子4人(森田勝、原精一、鳥海青児)の内のひとりなのである。この静物画は、1963年日本橋三越での個展出品作である。東美卒業後の20代前半を平塚で過ごし、現秦野高校で図画教師をしている。師匠である萬に「色数を抑えて描くように」とアドバイスされ、その教えを生涯貫いた燻し銀の画家でもある。この作品は55歳の壮年期に試みた構成主義的な作風で数少ない静物画の優品である。湘南平塚最後の大物画家として是非、平塚市美術館で回顧展を開催してほしいものである。

 

絵のある待合室84


   吉田白嶺 「芭蕉」 42㎝ 1931 第18回再興院展出品作

吉田白嶺ファンの私にとっては、嬉しい出会いだった。一目見て吉田白嶺の代表作であると分かった。それは遺作集「木心選集」に掲載されていたからだ。残念ながら共箱はなくなっていたが、保存は完璧であった。これで白嶺の代表作は5点となった。近い将来、「吉田白嶺展」はできないものだろうか?Y・Sさんお願いしますね。

 

 

 

絵のある待合室85

梅野隆が惜愛した孤愁の水彩画家

新発見 相田直彦「水郷」10M 1916年頃

ここに薄い1冊の画集がある。発行者は美術研究 藝林 梅野隆とある。

その初めには・・・「相田直彦1886~1946の数少ない遺作を公開いたします・・・そして本展示を機に、相田芸術の愛好家が増え、さらに相田作品の発掘が進み、逐次年を重ね、相田芸術の研究が進んで行くことを心より願ってやみません」と締めくくっている。この相田直彦顕彰展で公開された作品は7点に過ぎない。すべて昭和に入ってからのもので不透明水彩である。どれも優品であるが透明水彩の初期作品は梅野館長も巡り会っていないとある。この作品を見たときは、なんでこんな所に?そして梅野館長を思い出した。すぐに相田の郷里である福島県立美術館に問い合わせてみた。知人の学芸員を通じて増渕鏡子氏から次のような回答があった。「相田直彦の初期作、大変面白いものだと思いました。大正5年の第10回文展出品作が“潮来の村”で同じような絵であり、サイン、書き印も同じです・・・とは言っても行方不明の作品ですので日展史からの図版です。情報ありがとうございます。初期作は貴重です」と。相田の不透明水彩は時折見かけることがあったが、すぐに売れてしまい何回か機会を逃していた。しかし、今回はノーマークであった。隣市にある旧知の画廊にひっそり残っていたのだ。かなり以前の業者の交換会で入手したものだという。東京だったら売れていただろう。透明水彩のもつ柔らかで大ぶりな優しいタッチは、目から離して行くとだんだん絵から風景に変わって行く。まるでマジックだ。光と空気と湿気が表出できるのは明治~大正期の透明水彩の独壇場だ。梅野館長が生きていれば、この絵を見て何と言っただろうか?この絵を入手したのは1周忌の7月28日であった。

 

絵のある待合室86

 土方久功 最初期のマスク 1924

今から10年前くらいになろうか。土方の最初期にマスクブロンズが旧知の画廊に置いてあった。とにかくイイのである。1924年の年記とともに力強く久功と刻銘してある。ほとんど記録に残っていない時期の作品である。最近、1991年世田谷美術館で開催された土方久功展の担当者である清水久夫氏と連絡が取れ、いろいろとご教示頂いた。清水氏は土方研究の第一人者であるばかりでなく、土方久功日記を翻訳し世に送り出すという学芸員としてまた民族学者として非常に重要な仕事をされている。これこそ学芸員の鏡であると言ってよい。若き学芸員諸氏も展覧会だけで終わることなく、その奥にあるものまで触ってほしいものである。さて、清水氏のお手紙にはこう記されていました・・・「ご所蔵のマスク、全く知りませんでした。実に貴重な作品で、もしわかっていたら世田谷美術館での展覧会に出品したかったです。敬子夫人も知らなかったはずです。南洋へ行くときに親しい人たちに作品を預けていたのですが、戦争があったこともあり殆ど残っていないと聞いていました。どうしてこの作品が残っていたのか不思議です。「土方久功日記」が刊行されれば、また久功を取り上げる著書、論文も刊行されるでしょう。再び、この作品にも光があてられることになるでしょう」・・・

 

 

絵のある待合室87


 

  本荘 赳 「童女図」 3号 1940 板 油彩

本荘赳は平塚が生んだ洋画界の渡辺崋山である。その高邁な人格から描かれる作品には画格があり、絵好きにはたまらない。寡作であり隠れファンも多いため作品が市場に出ることはあまりない。この作品は旧知の画廊から分けてもらったが、裏書には、”第一回個展記念に勝三郎氏に贈る”とある。今後の本荘研究の資料となろう。

 

 

   

 

絵のある待合室88


中村直人(1905~1981)院展彫刻の重器から最後のエコール・ド・パリの画家に転身した稀有な鬼才である。画家志望から彫刻家に進路変更することは多々あるが、その逆は珍しいという。その理由は、2次元は3次元に勝てないからだと知人の彫刻家は笑っていた。3次元の彫刻の味を知ってしまうと2次元であるタブローは物足りないというのは、案外本当なのかもしれない。確かに、彫刻家のデッサンはイイものが多い。その理由は3次元を知っているからであろう。さて、今回は戦中作品2点である。いずれも優品である。直人の人物彫刻は小品とはいえ刀の切れ、造型ともに院展の良き伝統(仏師的、職人的、近代的)が見て取れる。今の彫刻家にはないモノがたくさんあるのだ。

  • 吉田松陰(昭和18年春作)23.5cm 共箱 2012年「中村直人彫刻の時代展」出品

志高き正義感強き松陰の人となりが見事に表現されている。図録に同時期の松陰の墨絵が掲載されていた。直人が好く彫った良寛、一茶、芭蕉とは趣の異なるこのような武士像は珍しいと思う。やはり、戦中ならではの作品であろう。

絵のある待合室89

 

      張果老(昭和16年春作)41cm 共箱  2012年 「中村直人彫刻の時代展」出品

見ての通りの名品である。明治生まれの木彫家の多くが張果老の優品を彫っているが、この張果老もまたイイ。

台座と足の境目がルーペで見ても一本の線のようにキッチリ彫ってある。通常この部分は甘さが見られる所だ。彩色も見事である。岩のデコボコに墨で陰影を付けているのは心憎い。よくぞ出てきた!とこの作品との出会いに感謝している。

絵のある待合室90


  林 重義 「紫衣の踊子」 SM 板 油彩

神戸出身の画家である林 重義は終戦直前の混乱期であった昭和19年に47歳の若さで生涯を閉じたため、その存在が忘れがちになっているが、独立美術協会の創立会員でもあった鬼才である。この作品は全盛期のルオー張りの優品である。小品だがその存在感は流石である。