平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第12室

 

絵のある待合室111


 尾崎良二 「ジュードポーム」 1964 30号 個展出品作

独立の若き天才と言わしめた頃の作品である。故梅野隆館長も注目していた作家であった。現在もお元気に活躍されていらっしゃるのが嬉しい。年賀状はいつも手書きの干支であり、作品のつもりで大切に保管している。

 

絵のある待合室112


 五百住乙人 「別れ」 1995 50号 画集掲載 個展出品作

2008年4月「五百住乙人」展が梅野絵画館で開催された。企画中心者であるNさんからその話を伺った、と同時に故Gさんの事が偲ばれた。平成12年5月、Gさんの住む板橋のマンションにSさんと訪問し美術談義に花が咲いた。その中で、Gさんが五百住先生に絵を習っていること、現存画家では尊敬に値する人物であることなどを物静かに語っておられた。その後、体調不良となり、しばらく療養された。平成14年夏、90%体調が回復したので再会したいとの連絡があった。10月に拙宅に来て下さり、再会を喜んだ。そして小生所蔵の高畠達四郎の滞欧作「婦人像」を見るや否や、一心不乱にデッサンを始めた姿を今でも鮮明に思い出す。平塚駅まで送り、じゃあ今度は東京で会いましょうと手を振った。これが今生の別れとなってしまった。その後、Gさんが亡くなったことをSさんから知らされ、愕然とした。遅まきながら墓前に手を合わせた。Gさん旧蔵の大貫松三作品を形見として入手し、供養の思いで平塚市美術館での大貫松三展に出品した。素晴らしい展覧会であった。その場には立軌会の後輩である五百住先生も来られた由。Gさんが呼んだのかな。そして、Gさんが先生と慕っていた梅野館長の美術館で、五百住展がGさんを知るNさんのご尽力で開催の運びとなった。全てがGさんの思いの糸が繋いだご縁であろう。なんとも不思議である。そんな折、何となくネットで五百住作品を探してみると、この作品「別れ」50号1995年作が飛び込んできた。「あっと」心の中で叫んだ。「平園さんお久しぶり」「Gさんじゃないですか」、対面する馬上の人物はGさんと私であると瞬時に感じた。「再会」であった。とにかく落札しなければならない作品である。ピカソの青の時代をも彷彿させる渋いモノトーンのブルーがどこか寂しげで静かである。芥川氏が指摘するように…複雑で微妙な色同士のせめぎ合いがひっそり続いている。そこから立ち上るように空気が生じて画面の中を巡っている…「Gさん、展覧会場でまた会いましょう。ではさようなら」。別れは出会いの始まりでもある・・・。

 

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 清水三重三 「唄」 1924 32㎝ 2012年群馬県立館林美術館「色めく彫刻展」出品

構造社の中心的作家のひとりとして知られているが、人物・建築彫刻~戦後の挿絵まで多彩な才能を発揮した。東京大空襲で戦前の作品はほとんど焼失してしまった。この作品は構造社に参加する3年前の作品であり、資料的価値もある貴重な作品である。

 

 

絵のある待合室114


 長谷川利行 「子守り」 1929 デッサン

利行38歳の時のデッサンである。一目でわかる利行の魅力はイイも悪くもで先入観がある。これも念のため鑑定書をとった作品である。私が鑑定書を依頼した唯一のものでもある。

 

絵のある待合室115


 後藤 良 「高砂」 16㎝10㎝ 平尾賛平(2代)氏旧蔵

後藤良の佳品である。平尾氏は日本初の化粧品店を開業したことで知られているが、先代の頃より後藤貞行や高村光雲を支援しており、代々平尾家は美術藝術のパトロンとしても有名であった。この作品も2代の成婚25周年を記念して後藤が平尾に贈ったものであることが分かっている。後藤良研究の第一人者である田園調布大学の中原氏も貴重な発見と喜んでくれた。今後の調査に期待したい。

 

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 市川裕隆 「Fossil fuel」 2009  23x16㎝ Pencil on Panel

「わの会の眼」の表紙でお世話になった市川氏の作品である。小品であるがワークリストに図版として掲載されている代表作である。彼の鉛筆画に対する姿勢は修行者のようである。角の取れた真摯なまなざしはその人柄が作品に現れているようだ。1979年生まれだが既に15回以上の受賞歴がある。関西を中心に活動されているが関東でも個展を開いてもらいたいものだ。

 

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冨長敦也 「人間」 大理石 2004 31㎝

作品の素材はイタリア産トラバージンという石材を用いている。2004個展(ギャルリープチボワ・大阪)2004個展(ギャラリーゴトウ・東京)2005個展(ギャラリー一穂堂・東京)に出品歴あり。作家のレゾネNo367の作品である。石と結婚した男と呼ばれている国際的な石の作家である。目の肥えた美術通にファンが多いという。偶然手に入れた作品だったが、代表作のひとつと知り幸運だった。「希望と挫折のトルソ」との別題もついているそうだ。

 

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村上肥出夫 「築地付近」 1964 10号

兜屋画廊の西川武郎氏が発掘した異才。川端康成氏が生前「心力と勇気を私に伝える絵」と絶賛した放浪の画家。27歳にして路上の絵描きが画壇の寵児となり、「ゴッホの再来」、「画壇のシンデレラボーイ」、「放浪の天才画家」、「色の魔術師」などと言われるようになった。石川達三氏・・・「村上君は時には詩を書く、時には天才的なデッサンを描く、そして何を考えて生きているんだか、私には見当が付かない。一種の出来損ないであるのか、それとも天使のような人間であるのか、とにかくつきあいにくい。しかし笑った顔は以外に純真である。そして作品はこの上もなく強烈である。」・・・など個性的な文人たちが愛した作家でもある。私は1960年代の作品に心惹かれる。
 

 

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  天才 玉村方久斗の残像 「しろふぢ」 紙本着色 70x40cm 額装 昭和3年頃 作品中央部 

玉村方久斗の展覧会が鎌倉近代美術館で開催(2007 11月~12月)された。来年には京都国立近代美術館で開催される。この作家については星野画廊の星野桂三氏が発掘顕彰した第一人者であり、東御市美術館長の梅野隆氏も展覧会を開催して機運を作って頂いた。以前からこの作家については賛否両論の評価が幅広くなされていたが、黙殺の状態が長く続いていたようだ。そのため正当な評価を下すための展覧会はされていなかった。私も名前と一部の作品しか認識しておらず、今回の展覧会によって自分の目で評価したいと思っていた作家だった。この作品も昭和初期のものであるが、大胆不敵の一気呵成の筆使いと金泥によるサラリとした装飾性、反骨巨漢の自画像を思わせる目つきの鋭い文鳥の重量感、通常の花鳥画にはない独自の風が感じられた。私の好きな川端龍子と共通する匂いがするのは気のせいか?

鎌倉近代美の橘氏曰く・・・方久斗は描く速度のとても速い人であったという。それは即興を好んだということである。そして、速い速度で絵を描くだけでなく、ひたすら描き続ける人でもあったのである。全力疾走しながらマラソンするような絵描きであったわけである・・・

さて、今後、残像でしか知られていなかったこの作家の評価はどのようになるだろうか?いずれにしても玉村方久斗という画家が、古典と前衛の先に見出された日本画改革の先導者であったという事実は認識しておかなければならないだろう。機会があれば是非、観て頂きたい展覧会である。詳細は展覧会図録を参考にして頂ければ幸いである。

 

絵のある待合室120

  

 国方林三 「母子」 大正末~昭和初期 51㎝ ブロンズ 

今は知る人も少なくなってしまったが、国方は新海竹太郎や北村四海に学んだ英才である。文展、帝展、日展と官展での地位を確立していったが、私は初期作品に心惹かれる。この作品も旧知の画廊で入手したものである。これで国方作品は3点となった。