平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第14室

 

絵のある待合室131


 下郷羊雄 「みみづく」 1935 4号 板油彩

1930年代の下郷のシュール作品は本当に幻であり、数点が知られているに過ぎない。しかしその存在感は大きい。下郷は、前衛美術集団「名古屋アバンギャルド」を結成し、名古屋におけるシュールレアリスム運動の中心となり、彼のアトリエはシュールレアリストのサロンとなった。その後、下郷は写真にも注目し写真集団「ナゴヤ・フォトアバンギャルド」を結成し、伝説的な写真集「メセム属」を発表した。1941年に反体制傾向をもつ芸術家を狙った弾圧がはじまり、下郷をはじめ日本のシュールレアリスムは終焉に向かった。この作品は彼の全盛期の作品である。シュールの作風ではないが、人を食ったようなみみづくはシュールの精神で貫かれ、彼の自画像としての解釈も成り立つだろう。「日本シュールレアリムス14」山田諭編(本の友社)に詳しい。

 

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古川順三 「柘榴」 68㎝ 共箱

上越教育大学の岡充夫氏が「古川順三作品」についての論文を出されている。興味のある方はネットから閲覧できるので参考にして頂ければと思う。木彫の魅力は傷つきやすく弱いもの、そして1点しかないからだろうか。堅牢なブロンズでは感じられない感覚だ。美術品とは本来そういうものだろう。

 

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富樫 実 「殖」1958~1962頃 48㎝ 行動美術展出品作

この時代は、「生命を単一でなく、有機的につながったものとして作品にしたい」との思いが強く働いている。「空にかける階段」彫刻家富樫実の世界 加藤賢治著2006サンライズ出版が参考になる。

1931年 山形県鶴岡市(旧櫛引町)に生まれる。1948年 岩手県一関市において、仏師佐久間白雲に師事し仏像彫刻を学ぶ。1957年 京都市立美術大学彫刻科(現・京都市立芸術大学)卒業。1963年 ユーゴスラビア国際彫刻家シンポジウムに日本代表として参加。1964年 「空にかける階段」シリーズの制作を始める。1967年 フランス政府給費留学生選抜・毎日美術コンクール展にて大賞受賞。フランス政府給費留学生として、国立パリ美術学校彫刻科に学ぶ。フランス政府賀状コンクールにて大賞受賞。1974年 京都成安女子学園常務理事となる。1992年 京都府文化賞功労賞受賞。1993年 成安造形大学学部長となる。1996年 京都美術文化賞、京都市文化功労者受賞。1999年 紺綬褒章受章。■現在 京都市文化功労者、成安造形大学名誉教授、鶴岡市名誉市民。京都府在住。

 

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 青山美野子 「飛田」 12号 1979 

世に言う洲之内コレクションの作家である。洲之内徹が褒めた奇跡のマチエールを生み出したころの作品である。一時期、東京を離れ関西に住んでいた頃の珍しい作品で、裏にはMiyakoUnoと丁寧にサインしてある。彼女の絵に詳しい画廊主は「下部の色まで透き通るように見える透明のマチエールは工夫ぬ工夫を重ね出来上がったもので、3~5層まで重ね塗りし、その堅牢さは100年以上持つと言われている」との事である。このマチエールこそが青山美野子を生きる伝説とされる所以なのだろう。飛田とはかつて大阪市にあった飛田遊郭のことで、通称は飛田新地という。

 

    

 

絵のある待合室135


  高見嘉十 「母娘」 32㎝

東美卒だが、戦前は北京の美術学校で教授をしたいた。まさに忘却の作家である。この作品は待合室のカウンターに展示してある。触ってもオーケーなのだ。不安そうな娘を母がしっかり守っている。冬に戸外の停留所でバスでも待っているのだろうか?

 

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 本荘 赳 「柚子と柿」 3号 油彩

 本荘の静物画、特に柿は有名である。須田国太郎にも負けない誰もが静謐になる名画だと思う。

 

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野崎一良 「Ⅲ」 1971 68㎝

南画廊 大岡信、梅原猛が認める抽象彫刻の鬼才であり日本抽象彫刻の雄である。行動美術を代表する作家でもあった。市場ではあまり見かけないが素晴らしい作家だと思う。

 

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 二重作龍夫 「わしのかわいいコンチクショオ」 1968 10号

二重作龍夫画集に掲載されているドンキホーテシリーズの代表作のひとつである。二重作のドンキホーテは世界的に評価され版画も刷られている。サンチョ・パンサとドンキホーテの愛馬ロシナンテの再会を題材にしている作品で見ていて微笑ましい。

 

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 西田 勝 「裸婦」 30㎝ 絵皿油彩

西田 勝といえば古茂田守介と共に新制作のホープとして並び称された作家である。絵好きは彼の絵を1枚くらい持っているいることが多い。この絵皿は私が日ごろお世話になっているA氏から頂いたものだ。彼の著書にも出てくる思い出の作品だ。この赤色の裸婦は見た人の足を一瞬でも止めさせる力を持っている。

 

 

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 堀内康司 「魚」 1950年代 15号 ドローイング

1952年国画会新人賞を取り、次世代の作家の中で異彩を放った鬼才である。池田満寿夫の才能を誰よりも早く認め、世に出したことはよく知られている。1955年、彼の呼びかけでアイオー、池田満寿夫、眞鍋博、奈良原一高で「実在者」を結成し革新的グループとして注目された。しかし30代になって突然筆を折ってしまった。理由は謎である、70年代以降は美術評論やプロデュースを手掛け2011年に亡くなった。池田満寿夫は私の調書の中で、「堀内の作品はビュッフェを更に冷たく堅く重苦しいものにしあものであり奇妙なリアリティを持っていた」と語っている。この作品は丁度、ビュッフェがパリ画壇を席巻していた時期と重なる。1950年代のパリと日本を繋ぐ奇妙な1枚である。