平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第21室

 

絵のある待合室201


 中山 巍 「風景」 1940頃 10号

記念すべき中山巍作品の第1号である。今から15年くらい前に神保町の小野寺さんから購入した。一目ぼれであったのを憶えている。避暑地での母と子のひとコマである。妻(茂子夫人)と娘(玲子嬢)を見守るように立っているシュールな枯れ木は画家自身であろう。緑陰の奥に見える湖面の青と雲の白、そして光と影のハーモニーは見事である。中山戦中時代の名品と思っている。故梅野隆館長が絶賛してくれた思い出の作品でもある。

 

絵のある待合室202


 中山 巍 「瀬戸内風景」 1958 10号 

中山が病魔に襲われる直前まで描いていたと考えらる作品である。岡山出身の中山には瀬戸内は心休まる所であったろう。その後中山は不死鳥の如く復活し、新たなるステージへ進む事になる。

 

絵のある待合室203


中山 巍 「出土」 1930年後半 10号

中山研究の第1人者であるY氏によれば、「出土」シリーズの最初期の作品であると考えられている。スケールの大きいユニークな作風である。

 

絵のある待合室204


中山 巍 「砂丘」 1935 15号

この時代の中山の特徴が全て出ている代表的作風である。寝そべる人物と空の中山ブルーがシュールな別世界(砂丘)を印象づけている。

 

絵のある待合室205


中山 巍 「花」 1940年頃 10号

菊を油彩で描く日本人洋画家は多いが、菊をこのようにドラマチックに仕立てるのは素晴らしい。中山の独自性は、誤魔化しの効かないこのような平凡なモチーフで際立つかもしれない。

 

絵のある待合室206


宮本重良 「神農」 1953 24㎝ 共箱

院展の俊英である。忘却するには惜しい作家の1人である。神農は自らの体で毒と薬を識別し庶民に伝えたとされる古代中国伝説の王である。その自己犠牲と使命感は医師はもちろん為政者たちも見習うべきであろう。本来、政治家は庶民の手足であり庶民の下僕である。そんな政治家は尊敬され語り継がれる。

 

絵のある待合室207


中山 巍 「南方の人々」 1943 25号 第14回独立展出品作

私は中山巍が大好きです。この作品は1944年の第14回独立展に出品された「南方の人々」であると推測しています。従軍は命がけです。中山自身、この作品を描く前年の1943年に、風土病で高熱を出しボルネオの陸軍病院へ入院しています。一連の作品の中で中山の従軍画には一種の凄みがあります。特に人物表現が圧巻です。占領下の満州や南方の人々の声なき声(不安、怒り、絶望そして希望・・・)が心に迫って来ます。抑圧された戦時下での画家自身の心の在り様までもが作風の重さに感じられます。しかし、感傷的になることなく一歩引いたところから中山独自の得体の知れない数多くのメッセージが観る者を引き付けます。日焼けした南方の女性達(おそらく3世代の家族)、中央の女性の真直ぐな眼差し、表情のない老婆、背を向け呆然として宙を見上げる少女、色鮮やかな蜜柑と玉蜀黍が対照的です。「沈黙の画家」「ヒューマニズムの画家」としての異名を持つ中山が、この絵に塗り込めた思いは何か?鑑賞者は自分の考えを中山に伝えようという意識にかられます。大原美術館の柳沢秀行氏(中山研究の第一人者)も岡山県美時代に、中学生を対象に中山作品の寓意を読み解く鑑賞教育をしたことがあります。中山作品ほど、鑑賞教育に適している画家も少ないでしょう。文教大学准教授(当時)の三澤一美氏は美術鑑賞とは「私はこう思う」という自分探しであるとレクチャーしてくれました。今後の中山研究は日本フォービズムの重要な側面を占めています。滞欧期、戦前、従軍、戦後と歩んできた選ばれしフォーブの洋画家たちの作品を、時代別に展観できる企画があれば壮観でしょう。中山という支流が他の画家のそれと合流する時、中山絵画は異彩を放ち未来に別の姿で現われることでしょう。中山再評価の隠された鉱脈のひとつが、従軍画のそれらであることは間違いないと考えています。

最後に三澤氏の言葉・・・・

見るということは図画工作・美術の専売特許ではありません。理科でも観察があり、「見る力」はどの教科でも重要な学力の一つです。しかし、美術の「見る」は作品を通して人間の描く行為や作者の思いを想像し、思考を深めながら、作品に触発された自分自身を理解しようとする「見る」なのでしょうね。単なる観察ではないのです。その能力は、その子自身の生き方そのものを肯定する力となり、人生を力強く歩む力になっていくのでしょう。読み書き計算の基礎学力も重要です。しかしその一方で自分自身の感じ方や考え方を構築する学力にもしっかりと目を向けたいものですね。

 

 

 

 

絵のある待合室208

 中山 巍 「窓」 1926 50号

この作品は長い間、公立美術館に寄託されていたものです。中山巍の滞欧作(1926年制作)の中でも代表作の1つであり、母子像としても古典の域に達している名品でしょう。中山を蒐集対象の柱とし、その周辺の作家の優品をコレクトしている私にとって、中山の滞欧作は現実に近い夢でした。代表的な滞欧作のほとんどが美術館に収蔵されているので、個人蔵の滞欧作をリストアップし購入できる可能性のある作品を調べていくと、この作品が浮かび上がってきました。勝負を賭けました。約1年の交渉期間を経て、わがモノになりました。50号という大作でありましたが、保存も抜群で大事にされていたことが伺われます。帰国後、1930年協会展に出品の折に若干の補筆がある程度で、オリジナルに近い状態でした。大きな木箱に厳重に梱包された作品がトラックから運び出される時の興奮は忘れることができません。この先、これほどの出来事はもうないかもしれません。お陰で愛車は20年目を迎えることになりました。

 

 

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 中山 巍 「風景」 不詳 板4号

旧いのは画廊から購入した作品である。真っ黒な影が暑さを感じさせる。さすがである。夏の待合室に展示しており患者さんには好評である。

 

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 中山 巍  「父と子 其の2」  1940 60F 

開院当初から待合室に掛かっている大作である。長い間行方不明だったが、近年発見された中山巍の戦中時代の代表作でもある。「父と子其の1」は郷里の岡山県立美術館が所蔵している。日本の占領下にあった満州国の民衆の姿を自分の姿に投影して描いた反戦画の名作である。籠の鳥を見つめる父親と慰めるかのようにその肩に手置く少女、そして未来を象徴する裸児・・・籠の中の鳥は占領下で苦しむ民衆と中山自身であろう、この絵が発表されなかった理由が分かったような気がする。岡山の名門に生まれ、キリスト教から仏教に改宗した経歴をもつ。無冠の帝王、沈黙の画家、そしてヒューマニズムの画家、慈悲の画家と変貌を遂げた日本フービィズムの立役者の苦心孤中の一枚。