平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第22室

 

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 本荘 赳 「北宋磁州窯」 1956 8号 

記念すべき本荘作品購入第1号である。神保町の小野寺氏に探してもらった。入手後、ご遺族のシールとコメントを頂いた。この磁州窯の壺は安田靫彦の葬儀委員長を務めた重田哲三氏(本荘の良き理解者でもあった)所有のものであるとされる。本荘は平塚市美術館創立時の最大の功労者の一人であり、同じ平塚出身の鳥海作品のコレクションを強く薦めたという。しかしである。この作品をみてほしい。鳥海もいいがそれをも超える画格は一目瞭然である。安田靫彦が惚れ込んだ本荘は他の洋画家と違う画境にいるのだ。「油彩で日本画を描く稀有の画家」と評した靫彦が言わんとした意味は、日本人の精神で洋画を描くと本荘のようになると言う事だと思う。靫彦曰く、「本荘君がいるから私は洋画を描かなくてもよくなった」と目を細めたという。病床には本荘の静物画が最後まで置いてあったという。一流は一流を知るのだ。

 

絵のある待合室212


 本荘 赳 「白馬」 1957 10号

本荘の動物画は極めて少ないがそのほとんどが名品揃いだ。前出の「山羊小屋」30Mを蔵しているが、2点目の出会いであった。今度は牛をゲットしたい。

 

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 本荘 赳 「双子嶽の冬」 1954 8号

箱根の芦ノ湖ではお馴染に風景である。芦ノ湖に行かれた時にはこの絵を思い出して頂けたら幸いである。

 

絵のある待合室214


 本荘 赳 「伊豆の秋」 不詳 3号

伊豆は関東の田舎と呼ばれ、箱根とともに皆から愛されている。伊豆に行った人ならこの絵の感じは分かって頂けるだろうか。小品だが幽玄普遍の風景画が広がっている。

 

絵のある待合室215


 本荘 赳 「津久井湖」 1960年代 10号 コンテデッサン

本荘の素描はひとつの独立した作品である。平塚市美術館での本荘素描展は圧巻であった。市場にはまず出てこないので、見る機会はほとんどないであろう。でも油彩とともに是非見た頂きたいものである。

 

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  本荘 赳 「ひなげし」 1957 6号

 磁州窯の壺に「ひなげし」が盛ってある。美しい。 

 

 

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 本荘 赳 「泰山木の花」 1976 6号

泰山木の花は好んで本荘が描いたモチーフである。故梅野館長(東御市梅野記念絵画館)も名品を所蔵していいる。、花言葉を調べてみると、「壮麗」「威厳」「高貴」「崇高」「自然 の愛情」とある。本荘赳という人物そのものである。

 

絵のある待合室218


 本荘 赳 「葉牡丹」 1961 8号

本荘植物画の名品である。公園や学校のグランドの片隅にひっそり植えてある葉牡丹をまるで大木のように威風堂々と、そして冬日の柔らかな日差しをこれほどまでに詩的に描ける画家がどれほどいるだろうか。本荘の目は並ではない。

 

 

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  伊藤悌三 「老人像」 1938 10号

私の好きなモチーフは人物である。特に老人像には目がない。しかし、心打つ作品に出会う機会は稀である。厚木には忘れてはならない伊藤悌三と言う物故作家がいると旧知の額屋が教えてくれた。そのアトリエには戦前の作品、特に人物の代表作が残っていると言う。さっそくアトリエを訪問(2002年4月)し、無理を言って遺族から譲って頂いた代表作の1つである。モデルは画伯お気に入りの豪徳寺の焼鳥屋の親爺である。絵が甘くなるのが嫌で老人像を描き続けていた時代の数少ない作品でもある。戦後は「裸婦の伊藤」の異名を持つほど、洗練された素直で自然体の美しい裸婦を描いたが、私は戦前の老人像が伊藤画伯の本領であると思っている。東美時代に帝展に入選し、文展受賞後日展、光風会と活躍したが、戦後は無所属となり個展主義の孤高を貫いた老画家の回顧展を夢見ている。

 

 

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 伊藤悌三 「臥位裸婦」 1955頃 6号

伊藤悌三の壮年期の裸婦像である。よく知られている晩年の明るく柔らかな裸婦とは一線を画す。黒バックの裸婦はやはりイイ。