平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第26室

 

絵のある待合室251


 
  砂澤ビッキ 「樹鰈」 55㎝  私の愛する1点展出品作

 ビッキ文様が怪しく暗闇で光っている。海底に潜むのは樹鰈である。 

 

 

絵のある待合室252


  二重作龍夫 「ベニス風景」 1973 8号

二重作のベニスは別格である。小品であるが懐の大きい画風は流石である。

 

絵のある待合室253


 
  作者不詳 「女の首」 41㎝  

鳳堂というサインが刻銘されている。しっかりした作品で彫刻専門の学芸員も関心を寄せてくれたが作者不詳のままである。分かる方教えて下さい。
  

 

絵のある待合室254


 中山 巍 「山村風景」 1951 6号


在野で初の芸術院賞受賞の年の作品である。研究者の話では中山の別荘のあった蓼科風景であるとされている。

絵のある待合室255


 林 重義 「ばら」 1926 4号

林重義の初期作品である。当時から凄みと深みがある。林の自画像のようだ。 
 

 

絵のある待合室256


 矢崎虎夫 「三人の修道女」 1964 24㎝ パリ個展出品作


ザッキン時代の代表作である。群像彫刻の記念碑的作品でもある。

絵のある待合室257


 芥川麟太郎 「卓上の静物の包み」 1973 20号 油彩

 横浜在住の洋画家である芥川麟太郎氏と出合いは2年前の晩秋でした。土方さんの強い勧めで個展に赴き1時間の懇談となりました。私の所蔵する「白火」20F 1973が自画像であり特別な作品であること、四谷十三雄兄のこと、貧乏だった時のこと、空間のこと、佐藤一英のこと、ジャコメッティーのことなど初対面にもかかわらず泰然と優しく聞かせて下さいました。この作品も若き時代の名古屋での個展出品作であったのです。「二つの相克の関係」・・・卓上は天を司り、風呂敷に包む箱の形状が闇を穿つ・・・自己投影の縮図であるとのコメントを手紙で頂きました。まさに哲学する絵なのです。そんな芥川氏の古い友人である画家に河野扶氏がいます。河野氏が芥川氏の個展に寄せて書いた「芥川さんと私」にこうあります・・・芥川さんは私の年下の友人であると同時に私の惚れ込んでいる画家の一人です。存在の本質に迫る、その飽くない実在感の追及には凄みを感じます。どちらかと言えば暗い、プルシャンブルーを主調したフォーブがかった作品を目にした瞬間、画廊の床に立ち尽くしてしまいました。「ひょっとしてこの絵の作者は数少ない本物の一人ではなかろうか」・・・世に言う具象絵画の多くがモチーフの単なる表面描写が、みてくれだけの綺麗ごとに終わっているなかで、芥川さんの仕事は今後ますます貴重な存在として真価を発揮することは間違いない・・・
 芥川氏のこの作品から単なる存在を超えた自身の実在の意義を考える年齢に達している自分を発見できたことは価値的であったと感謝している。皆様はこの作品から何を哲学するであろうか。
 

 

絵のある待合室258


 和田金剛 「晩秋」 1962 44㎝ 


澤田政廣の愛弟子のひとり。第5回日展審査員就任記念の優品である。ざっくりしたノミ跡と青白の彩色が清々しい。

絵のある待合室259


 望月省三 「静物」 大正15年 絹本彩色8号大

1891年、安蘇郡赤見町(現佐野市赤見町)に、赤見小学校の教員であった父、望月夏之助と、赤見の旧家の娘であった母との間に次男として生まれた。父の夏之助は、もと松江藩士の子として生まれたが、明治維新によって上京し、教員となって赤見小学校に赴任してきたのである。省三は赤見小学校に学んだが、1901年、尋常4年生の時、父の足尾小学校転任により赤見の地を離れた。その後画家の道を目指して上京し、日本水彩画家会の創設に参画。水彩画家として、日展無審査の地位にまでになる。太平洋戦争中は家族と共に故郷の赤見町に疎開したが、1950年に再び上京し、1954年に63歳で永眠する。大正期の作品は貴重である。

 

絵のある待合室260


  ロダン 「ビクトル・ユゴーの顔」  ブロンズ

北関東の美術館旧蔵とされる。ユゴーは好きなので書斎に置いている。白樺派が大正時代に同じブロンズをいくつか鋳造しているとのことである。この顔はデッサン用の石膏でも有名な作品であるので見たことがある人も多いと思う。