平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第27室

 

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 國方林三   仮題 「うずくまる裸婦」 58㎝ ブロンズ  大正末~昭和初期  


國方林三の初見の裸婦作品である。作品の出来と大きさからして出品作ではないだろうか。調査中である。日露戦争前後は彫刻家とは言わずに原型師と言っていた時期であり、國方(天海)の名は天下一の原型師として全国に名を馳せていた。富山県立工芸学校、太平洋美術と学び明治40年東京勧業博覧会で2等を皮切りに以後文展には連続入選を続け地位を築いた。品位ある作品は今もその輝きは失っていない。池田勇八、建畠大夢、北村西望の4人で結成した八手会は記憶しておきたい。東京美術学校を出ていない官展作家にはまだまだ多くの力ある彫刻家が埋没しているに違いない。
  

絵のある待合室262



  吉田白嶺 「翡翠」 24x14㎝ 昭和16年春 共箱


 独壇場と云われていた白嶺の鳥彫刻である。亡くなる前年の作品だが素晴らしい。この年に開催された大阪・広島での個展出品作と思われる。白嶺の翡翠は有名であるが、現存作品は少ない。

絵のある待合室263


  ジョセフ・ベルナール 「女のトルソ」 1909 27㎝ 清水多嘉示箱書き レゾネ掲載
近代彫塑 「西洋日本」展  国立近代美術館(京橋)  1953年6月27日-1953年8月23日出品作

今から15年くらい前に入手したベルナールである。来歴もしっかりしており美術館からの貸借状も残っている。芦屋の旧家の所蔵といわれている。ロダンの高弟として有名だが、日本ではあまり馴染がない作家である。愛知県美の長谷川三郎館長にいろいろとご教示して頂いた思い出の作品でもある。

 

絵のある待合室264


 堀 進二 「中村彜会記念メダル」 1974


中村彜はコレクターの永遠の憧れである。その周辺作家も魅力的だ。晩年、親友のひとりである堀進二が中村彜の会の記念メダルとしてつくったものである。今となっては貴重だ。

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  山本正道 「坐る」 23㎝ 1982年  平塚市美術館ロビー展出品作


山本 正道[やまもと まさみち/1941-]
東京芸術大学彫刻科を卒業。第5回平櫛田中賞、第9回中原悌二郎賞優秀賞などを受賞した作家で、主に塑造により、独自の風景彫刻も手がける。
神奈川では山本正道は横浜山下公園の「赤い靴」でお馴染の作家である。

絵のある待合室266
 


  タイ彫刻 「狩猟図」 チーク材 レリーフ 70x125cm  大阪万博(1970)タイ館使用作品
                              

今やチーク材は希少木材の仲間入りとのことである。このチーク材に彫られたレリーフも今となっては貴重であろう。
これが大阪万博のタイ館の一部に使用されていたとの事。現在、その展示風景写真を探しています。お分かりの方はご一報下されば幸いです。

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  稲垣考二 「ブリキ缶」 20号 1982年 水彩デッサン 紅霜展出品作と同サイズの水彩デッサン

  
  私の気になっている作家である。売り絵は描かない骨太の画家である。時代が評価するのを待ちたい。

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 藤井浩佑 「浴女」 36㎝ 不詳 共箱

彫塑家、日本芸術院会員藤井浩佑は7月15日午前5時40分急性スイ臓炎のため熱海市の自宅で逝去した。享年75歳。本名は浩佑(ひろすけ)。明治15年11月29日東京神田に生れ、父祐敬は九条家出入りの唐木細工師であつた。はじめ不同舎へ通い、満谷国四郎に師事してデッサンを学び、第四中学を経て明治40年東京美術学校彫刻本科を卒業した。同年第1回文展に「狩」を出品して以来、第9回文展にいたるまで出品をつづけた。その間第4回文展出品の「髪洗」は褒状を受けて出世作となり、コンスタンタン・ムニエの影響の濃い「トロを待つ坑婦」(第8回文展3等賞)など初期の代表作がある。大正5年9月日本美術院同人に推薦された。昭和11年日本美術院を退き、同年帝国美術院会員、翌年帝国芸術院会員となり、その後官展に作品を発表し、戦後も日展に参加し、斯界の長老として重きをなした。日展では同展運営会理事、逝去後の秋開かれる新日展では顧問ということになつていた。没後勲三等に叙せられ瑞宝章を贈られた。「梳髪」や「浴女」など、日本風裸女の普遍的な姿態を、情趣深く表現するのに長じた独特な作風を示した。作品には諸展覧会発表作の他、彼としてはめずらしいものに、孫娘を妻としたのが縁で作つたアンパンの元祖、木村安兵衛夫婦の座像(鋳鍋・大正7年11月除幕、東京浅草田中町東禅寺境内)がある。

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  長谷川栄作 「日本武尊」 48㎝ 不詳

  戦中時代、国威発揚のために造られたものであろう。資料的にも興味深い。

 

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松原松造 「鍾馗」 33㎝ 1934 共箱


松原松造. 1903-2001. 東京生まれ。1922年から藤井浩佑に師事する。1923年から太平洋画会研究所彫塑部に入. り、院展に参加、1936年に同人となる。1959年に燦々会を結成するが、その後脱会して太. 平洋研究所に入る。『松原松造作品集2004。平櫛田中の周辺作家として知っていたが、その作品は図録でわずかに見るしかなかった。この作品からして院展の良き時代に育った私好みの作風であり安心している。彼の院展時代の優品に出会うことを願っている。