平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第31室

 

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  志賀健蔵 「反世界Y-62」 1962年 100号 キャンバス油彩  シェル美術賞2等受賞作品


彼の名を知る方はほとんどいないだろう。1950年半ば~1960年半ばまで東京で大活躍した高知出身の前衛画家である。読売アンデパンダン展のスターと呼ばれた異才だ。瀧口、東野、針生の評論家御三家からも高い評価を受けていた。高知県立美術館がこの作品と対になるシェル出品作「反世界X-62」を所蔵している。1965年の東京ヒルトンホテルでの個展を画家としては最後と宣言している。そのような理由で彼の前衛絵画はほとんど残っていないようだ。この作品は全盛期の彼の代表作のひとつであることには間違いない。

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 武井直也 「裸婦立像」 1925年頃  58㎝ 石膏 

石膏の形で彼の作品が残っているいること自体、奇跡的なことだ。関係者が保管(忘却?)していたものであろう。滞欧期の武井作品は構築的でギリシア風だ。堂々としていていつ見ても格が高く気持ちがいい。これでようやく武井作品は5点になった。これからも出会いがあればゲットしていきたい。

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池田龍雄 ブラフマンシリーズ 不詳 1974 25号 


1928年佐賀県生まれ。1948年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)入学。まもなく岡本太郎、花田清輝、安部公房らのアヴァンギャルド芸術運動に参加。以来、文学や映画など、多くのジャンルと深く交わりながら、一貫して美術の前衛として今日まで活動し続ける。戦後日本の前衛美術のリーダーの一人であり生き字引的存在である。この作品は紀伊国屋画廊での個展出品作と考えている。他を圧倒するグローバルな作域である。

 

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  平馬立彦 不詳 1954 50号


1950年~1960年代の邦人前衛絵画の本格的な発掘研究が始まろうとしている。
志賀にしても平馬にしても完全に埋没しているが半世紀経った今でもその魅力は尽きない。

平馬は1950年代に主にニューヨークで活躍した戦後最初の邦人前衛画家である。非常に興味深いがほとんど知られていないのが現状である。

ここにブログにあった「平馬立彦の魅力」を掲載させて頂く。

抽象の花開いた50-60年代に活躍した画家ですが、美術業界では相場も全くない、制作点数もそう多くはないものの、作品は現代に通じる魅力があります。情報量も少ないので、今後どれだけ理解を深めることができるかは未知数ですが、まずはこんな画家がいたという記録があって、作品があるのだということから、まずはご紹介したいと思います。

【平馬立彦 略歴】
1922年 京城(現ソウル)に生まれる
     青山学院中等部、早稲田第二高等学校(現早稲田大学)卒業
1942年 東京美術学校(現東京藝術大学)油絵科入学
     戦時下海軍にて兵役につき、終戦後復学
1947年 同学科卒業
1948年‐1949年 学業の傍ら青山学院で教鞭をとる
1949年 同大学研究科終了後、渡米
1950年‐1951年 戦後初の絵の渡米留学生としてArt Institute of Chicagoに学ぶ
1951年‐1954年 ニューヨークに移住。
     奨学金を得て、The New School for Social Researchにて学ぶ
     絵画のほか美術史、文学、音楽を修業
1952年 奨学金を得てHans Hofman’s Schoolに学ぶ
1954年 レイシアム・ギャラリー(ハヴァナ)で個展開催
1955年‐1956年  The New School for Social Research でデッサン、油絵、構図を教える
     ペリド・ギャラリー(ニューヨーク)で個展開催
1956年‐1958年 アラバマ州率大学美術学部助教授としてデッサン、油絵を教える
1956年 アラバマ大学にて個展開催
1958年 渡仏し、パリにて制作開始
1959年 ファケッティ・ギャラリー(パリ)で個展開催
     その他グループ展に招待または参加
1960年 東南アジアを船で周りながら帰国
     東京画廊、文芸春秋画廊、大阪フォルム画廊で個展開催
1961年 再渡米し、ニューヨークに滞在して制作
1963年 日本橋画廊(ニューヨーク)にて個展開催
1964年 ヨーロッパを周り帰国
    帰国後は東京クラフトデザイン研究所の基礎造詣、デッサンの講師として後進育成
    スターダンサーズ・バレエ団など、バレエの衣装、舞台美術を手がける
1999年 享年77歳

【グループ展】
1951年 油彩 Oil Exhibition Momentum(シカゴ)
1952年 水彩 National Water Color Exhibition(ニューヨーク・メトロポリタン美術館)
1953年 木版 The Print Club(フィラデルフィア/褒状)
     National Annual Print & Water Color Exhibition(ペンシルバニア・アカデミー)
     Younger American Printmakers (ニューヨーク近代美術館)
1954年 木版 The Print Club(フィラデルフィア/褒状)
     Annual Print Exhibition(ブルックリン美術館)
     油彩 American Show(ブランデーズ大学/招待)
     National Annual Painting Exhibition(ペンシルバニア・アカデミー)
1955年 木版Annual Print Exhibition(ブルックリン美術館)
     油彩 Selection Show #1(ニューヨーク近代美術館)
1956年 油彩 Alabama State Fair(バーミンガム)
     Birmingham Festival of Arts
     Mississippi Art Association(ジャクソン)
     Mississippi Southern Jacksonville State Teachers College
     木版 The Print Club(フィラデルフィア)
1957年 油彩 Alabama State Fair(バーミンガム)
     Murray State College(ケンタッキー)
     水彩 Alabama Water Color Society(招待)
1958年 水彩 National Water Color Exhibition(ミシシッピ美術協会/2位受賞)
     油彩 South Eastern Art Conference Exhibition(招待)
    Option 58(リヨン、Grange ギャラリー)
    Le Soleil dans la Tete(パリ)
    Artistes Japonais a Paris(パリ、Musee Galliera)
1959年 油彩 Comparaisons (パリ近代美術館/招待)

【平馬立彦 遺作展】
2002年11月10日(日)~11月15日(金)
11:00~20:00(初日12:00 Open・最終日19:00 Close)
代官山ヒルサイドテラスE棟ロビー

※以下、遺作展カタログから

平馬君の抽象絵画の作品は、
日本ではアメリカのようには理解されにくいのではないかと懸念される。
第一、彼の作品には、日本流の力こぶが入っていないように見える。
薄塗りで、しなしなと柔軟で、一見頼りないみたいである。
が、その無類に柔軟なフォルムが、
日本の抽象作品には余り見られないような、のびのびした拡がりを示している。
そして紋切型でないリヅムがある。
デリケートだが神経質になっていない。それが美しい。
譬えていえば-激流のような、
あるいは深淵のようなフォルムではないが、
下流の浅瀬の拡がりのような親しみ深い明るい展望を感じさせるものだ。
平馬君の作品がアメリカで好感を持たれているのも理由のないことではない。
日本の鑑賞者が、その点を理解しないと、
平馬君の作品は徒らに軟弱なものに思われるかもしれない。
今泉篤男

それは豪華でもなく、脂肪過多でもなく、
巨人的でもなく、単調でもなく、形も持っていない。
それは激しくもなく、ばかばかしくもない。
それは二次元でもなく、三次元でもない。
それはエコール・パシフィックにも属していないし、
エコール・アトランティックにも属していない。
それはどの特定の地域にも属していず、あらゆる影響から脱れ出ている。
人々の目に匂い、エスプリに滲みとおる……
それが平馬立彦の絵画であり、彼の抽象芸術なのだ。
ジュリアン・アルヴェール


戦時下美校(現芸代)で学び、研究科を卒業した年に戦後初の画学留学生としてアメリカに渡り、主に海外で制作。独力で切り開いた。1964年に帰国後はキャンバスに向かう事はなく、教える事と舞台美術を多く手がける。
なぜ絵筆を置いてしまったのか知る由もない。晩年、「僕はずっと絵描きだったよ」と語る。「古くなったあと、また新しさとして-または美の質の高さとして-もどれるものだけが、本当の美をもっていたのではないか」と書いている。アートインスティチュート オブ シカゴに学び、アラバマ大学で教鞭をとりながら制作に励み、ノグチ・イサム、ジャスパー・ジョーンズ等、新進の芸術家たちと交流を持つ。
 

絵のある待合室305


   岸田陸象 「牛」 30x17x13㎝ 木彫

岸田陸象氏は、長野県に生まれ、1953年に院展初入選。その後、7年間連続院展入選。さらに東京都知事賞など数々の賞を受賞。38歳で日本美術院院友に推挙され、創造美術会彫刻部長、日本美術家連盟理事を歴任。
この作品は中村直人に師事していた頃のいわゆる農民美術時代のものだろうか。牛の木彫はいつ見てもいいものだ。

 


絵のある待合室306


   合田小三郎 「少女」 不詳 ガラス絵 はがきサイズ


合田小三郎(1912~1983)の洋画家である。私にとっては未知の画家であるが、このガラス絵は中一の次女にそっくりなので入手した次第である。家族も驚いていた。本人の感想は・・・・?これで居間には全員の似顔絵が揃った。

絵のある待合室307


 緑川俊一 「顔」 1987 47x67㎝  現代画廊個展出品作(1987)
 

言わずと知れた洲之内銘柄であり、一度見たら忘れない、コアなファンの多い実力個性派作家だ。2014年2月8日の雪の日に落札した。
新潟日報の河田拓氏は・・・「緑川俊一の線は不思議な線だ。それは何かを描写する画家の線でも、字を書く書家の線でもなく、それ自身の内部から突き上げる力で進み、曲がり、進む。初めて歩く子が歩くことの力、衝動だけで歩いていくみたいに。以前のシリーズではその線が「顔」になった。それはだから、描かれた顔ではなく、現れた顔であり、地上に突き上げた溶岩に開く目や鼻や口に人がぎくっとするように、緑川の絵は見る者をいつも新鮮に驚かせた」とあり、御子柴大三氏は・・・「何故に緑川俊一はひたすら「顔」 と「人間」を描き続けるのか。人間存在の不可解さ、そしてその不気味さとユーモア。緑川俊一が描く顔にはいつもそれを感じる。顔は一端解体し、混沌とした渦の中にエネルギーを秘め、再構築へと向かう。「人間とは」との問いが、彼を描くことへの飽くなき追求へと駆り立てている」とある。いずれも緑川の顔の魅力をどうにかして言葉しようと試みた優れた評論だ。皆様は緑川の顔をどう読み取るだろうか?

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 堀内康司 「信州風景」 47x64㎝ 1955年 鉛筆・パステル・クレヨン 紙

2013年10月に待望の「堀内康司の遺したもの」が求龍堂から出版された。10年という短い鬼才堀内の画業の一端を世に知らしめる凄味のある画集である。芝野敬通氏の堀内に対する友情が関係者を動かした。土方氏の評論も素晴らしい。この作品は掲載№8「北アルプスの見える風景・・・芳川村小屋」1956のバージョンと思われる。絵の迫力はこちらの方が数段上だ。19歳20歳と国展新人賞を2年連続で取り福島繁太郎(フォルム画廊主)に師事。その後駒込に住むようになったのちもたびたび信州に帰り絵を描いたのは、癒しきれない喪失感や心の傷を絵に昇華するためであったという。堀内にとって「信州風景」は特別な絵だと言える。市場に出る事はほとんどない作家であるが、来年には東御市梅野記念絵画館で回顧展が開催される。見た人はみな「線が無数に刺してくる」感覚に震える事だろう。
追補:絵のある待合室140 堀内康司「魚」も参照して下さい。

 

絵のある待合室309


 宮本重良 「河童」 1942 7.5x4x5cm 木彫彩色

個性的な院展作家の一人だが、作品はなかなかお目にかかれない。今回小品だが鶴の香合といっしょに入手できた。やはり個性的だ。以下参考までに略歴を記す。

明治28年7月17日東京日本橋区に生まれた。昭和44年死去享年74歳。本名、重次郎。同42年久松尋常高等小学校を卒業して家業の伊勢重牛肉店に従事していたが、大正4年美術を志し、太平洋画会研究所、日本美術院研究所に学び、傍ら石井鶴三に特に指導を受けた。第11回院展(大正13年)より重良と号して出品しはじめ、第17回院展(昭和5年)で「童女像」「男立像」によって日本美術院賞を受け、昭和11年日本美術院同人に推挙された。戦後34年には日本美術院評議員となり、まもなく36年2月彫塑部解散に伴って退会した。ところで、かねて同志相寄り研究所をもち、その発表展を4回ばかり行なってきたが、そのメンバーのうち6作家が、多摩丘陵にある読売ランドの聖地公園に仏教七宗派の祖師銅像の建立を担当し、(昭和39年11月15日完成除幕式挙行)、このうち重良は浄土宗祖「法然上人立像」を制作した。翌40年10月には、新宿京王百貨店で祖師像完成を機会の記念展、粲々会彫刻展(第5回)を行なった。以後この会の第8回展(昭和43年)まで、毎年参加、主として木彫作品の発表を続けた。翌年11月の第9回展には、「猿田彦神」「婦人像」「脚を拭く」「草平氏像」「うずめの命」「少女坐像」「小林氏像(絶作)」など同志会員らによって代表的遺作が陳列された。他に「風神二題」「首相鈴木貫太郎翁像」「葛野観音」、芭蕉研究に意を用いた関係で「芭蕉像(各種)」など主要作品が数えられる。

 

絵のある待合室310

  宮本重良 「鶴の香合」 不詳 7x4x4㎝ 木彫着彩

鶴の香合は多くの木彫家が作っているが、この鶴はなんとも愛らしくとぼけている。江戸っ子の重良の人柄が出ている作品であろう。