平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第36室

 

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                             二重作龍夫 「多宝不二」 1975 25F キャンバス 油彩

この作品と同構図である30Fの多宝不二(作品集№126)が仏政府買上げとなった。仏政府は日本の魂である富士を描く画家として二重作を最高と評価したのである。しかし、二重作は25Fの多宝不二(作品集№147)も描いている。画集の中のコメントにこう記している・・・仏政府買上げの作品と同構図だが私としては、この作品の方が気に入っている・・・画集掲載の25Fの多宝不二は妻の実家の応接間に掛かっている。この作品と瓜二つだ。違いは妻の実家の作品のサインは向かって左であり、今回の25Fの多宝不二はサインが向かって右なのである。まさしく双子の兄弟作品といっていい。少しややこしいい話だが、・・・奇遇である。妻と結婚する前に彼女の実家に遊びに行った時、この富士があり感動したものだ。結婚してから義父がこれと同じ作品が3点あると話していたのを思い出した。もう一点はどこにあるのだろうか?ちなみに二重作と義父は友人でもあった。富士を描いた画家は多くいるが、二重作の富士は日本人が油彩で描く富士のひとつの頂点を示している。横山大観と同じ水戸出身の豪放磊落な二重作は大観にどこか似ていると思う。私にとって富士と言えば、日本画の大観、洋画の二重作なのである。


 

 

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                        十河 巌 「主婦と主人」 1950年代 8号 キャンバス 油彩

十河厳(そごうがん)は最後の大阪朝日会館館長(4代目)を務めた大文化人で知られている。関西学院大の院内サークル弦月会のメンバーであり、昭和3年卒の同期のメンバーに具体の吉原治良がいる。この作品は大阪の旧蔵者が十河が館長時代に朝日会館で個展をした時に求めた作品だ。館長時代が1946年9月~1958年10月なので、その間の作品である。大阪の旧蔵者の方は1950年後半に十河の個展で購入したと証言している。1950年代後半としていいだろう。この時期にこのような作品を描いていたとはゲンビや具体美術を彷彿とさせる。具体をはじめ戦後1950~1960年代の現代美術の再評価が高まってきているが、十河も再評価される作家として期待しておきたい。

追記・・・大阪大学の研究者の方からのコメントを参考までに記載させて頂くことにする。
十河厳と吉原治良の関係ですが、彼らは共に、1952年に関西の様々なジャンルの作家によって結成された研究会「現代美術懇談会(略称ゲンビ)」に加わっています。ゲンビは、美術団体やジャンルの垣根を超えた討論の場として構想され、1953年から1957年まで、例会や毎年一回ゲンビ展を開いていました。ご遺族の話によれば1960年初頭には絵の制作は止めているので、この作品の制作年代は1950年後半でよいと思われます。
 また十河は、具体(1954年結成)の活動には直接関わっておりませんが、具体が催した「舞台を使用する具体美術 第二回発表会」(1958年)は十河が館長を務めていた朝日会館で実施されましたし、具体の活動についてはよく見知っていたと思われます。そのことは、十河が『日本美術工芸』第315号(1964年11月)に寄稿した「日本前衛美術の開拓者 吉原治良が国際路線にのるまで」という手記より窺えます。
 

 

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                     二重作龍夫 「すみれ色の館」 50F 1971 キャンバス油彩 コロー賞受賞作

まさか、この作品が残っているとは思わなかった。フランスでは歴史があり権威のあるコロー賞だが、平賀亀祐が日本人で初めて受賞したのが1954年であった。この作品が日本人で2人目となるコロー賞受賞作品だ。コロー協会が年間を通じもっとも優秀な作品に贈られる賞だ。二重作はこの作品のコメントに「フランス人は色の微妙な諧調を大切にする」と語っている。中間色を品よく重厚に描き切る筆力はフランス人も絶賛したに違いない。

 

絵のある待合室354


                                雨田光平 「立てる女 」1965 49㎝ ブロンズ 共箱

雨田 光平は福井県出身の箏曲家、彫刻家、ハープ奏者。本名は雨田外次郎。 東京美術学校卒業。米国とフランスで10年間にわたってハープを修業し、マルセル・トゥルニエに師事。彫刻家としても国際的に活躍し、「日本のロダン」と呼ばれた。日本ハープ協会顧問。箏曲京極流2代目宗家。 私にとって雨田は構造社のメンバーとして中心的な位置を占める彫刻家の一人だ。この作品は福井にある彼の記念館前に設置してある晩年の代表作である。雨田の作品が市場に出る事は珍しいと思う。

 

 

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                   三岸黄太郎 「Nu」 100号  キャンバス 油彩 日動画廊個展出品作(1989)

三岸黄太郎は在仏作家であるが、大磯在住の湘南の作家でもあり、私にとっては身近な存在だ。フランスの心象風景や静物を独自の深い色彩と計算されたシンプルな構図で哀愁たっぷり描く質の高い作家である。この作品は三岸にとっては珍しい大型の裸婦作品だ。三岸の裸婦はやはり三岸の裸婦であると感じている。
 
 

 

絵のある待合室356


                                               磯辺行久 1959 4号 水彩 紙

この作品は当に若描きである良さがにじみ出ている。静かな絵であるが見ていて飽きない。

1936年東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リトグラフの制作を始める。59年東京芸術大学絵画科卒業。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリーフ作品を出品し注目を集める。63年日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛ける。

 

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                                 吉田白嶺 「文鳥」 木彫 26x11x21cm 共箱

私は白嶺ファンの一人であるが、一連の白嶺の鳥木彫は他の作家の追随を許さない独自の刀味があると確信している。いつ見ても流石である。
 

 

絵のある待合室358


                               「園田孝吉」 Felix・Moscheles フェリクス・モシェレス(1833~1917) 61×51㎝ 1876年

このイケメンは誰なのだろうか?明治初期~大正にかけて活躍した外交官「園田孝吉」である。彼の分厚い評伝にはこの肖像画が掲載されている。また作者のモシェレスは高名な音楽家の父を持ち、エスペラント協会の会長も務めた知識人で、ブランギンとも親交のある英国の画家として活躍していた。ちなみに園田の妻は明治三美人の一人として才媛の誉れ高い「園田銈」であり、郡山市美術館に彼女の肖像画(山本芳翠) が収蔵されている。いつか、夫婦並べてあげたいと美術館関係者と話をしている。
<追記>:それにしても英国洋画の実力は凄いものだ。明治期の日本では五姓田義松や原蕪松を思いつくが、本場の肖像画の出来は見事だ。明治9年の若き外交官の意気込みと責任感が爽やかに描かれている。明治初期の日本人を描いた資料的にも貴重な作品である。

 

 

絵のある待合室359

       久保 守 「ノートルダム・ド・パリ」 1930 25号仏サイズ キャンバス 油彩 第7回国展出品作

久保守の回顧展には必ず出品されてきた初期滞欧期の代表作である。師と仰いだ梅原に誘われて春陽会から国画会へ移った初めの展覧会に本作を含む10点の滞欧作を出品している。北海道の洋画家では、三岸好太郎、俣野第四郎、久保守の3人が印象的だが、三岸、俣野は夭折し、久保は堅実に画家人生を全うした。

絵のある待合室360


                                           清水三重三 「助六」 60㎝ 1927年 展覧会出品作

構造社で唯一の木彫家であり、中心人物でもあった鬼才である。江戸の伝統的「粋」を現代木彫に体現したその独自の東洋的作風は他に類例のないもので、高村豊周や長谷川栄作らが高く評価していた。三重三は挿絵の大家として名を残しているが、彼の業績は日本彫刻史に正当な評価がなされるべきだと思う。戦災で作品のほとんどが失われたしまったと言われているが、このような作品が存在していたおかげで、当時の三重三の実力が窺い知れる。品とカッコよさを併せ持つ貴重な代表作と言っていいだろう。近代木彫の新発見としたい。