平園クリニック

平塚市岡崎の内科・婦人科・健診

 

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絵のある待合室 第39室

 

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                        宮崎 進 「踊るマレエの女」 1972~1974 80号 キャンバス 油彩

まさかの代表作である。1972~74までの2年間、パリのマレ地区の古アパートを拠点にターニングポイントになった数々の名品を描いた。そのひとつが本作だ!渡仏した理由が日展の審査員を断るためというから宮崎の人となりがわかるエピソードだ。陶酔して踊る女の姿はしがらみの日本画壇から離れ、フランスという異国の地で絵に没頭し、純粋に描くことに陶酔している宮崎自身の心境の表れかも知れない。シベリア抑留を経験し今も現役で描く巨匠は宮崎しかいない。ご長寿を心から祈っている。それにしても不思議で魅力的な作品だ。

 

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                                         植木 茂  題不詳  60x50x30㎝   

大黒屋美術画廊の小畑茂喜さんから無理を言って譲って頂いた植木の優品だ。小畑さんには3年前にも植木の代表作「合」を譲ってもらった経緯がある。この作品も1960年代の制作と思われる。来歴だが旧蔵者が梅田近代画廊から購入し小畑氏が3点買い取り自宅で大事に展示して楽しんでいたと言う。植木の盟友である山口薫の油彩とこの作品がコレボして写っている床の間の暑中見舞いを見て、すぐに連絡を取り翌日にはや強引に商談を成立したくらい感動的な出会いであった。それにしても小畑さんは価値ある良質の厳選された作品を美術館に収める目利きの画商として知られているが、私好みのちょっと渋い植木にも見識があるのは有難い。本作も「合」と同じく漢字一文字の題名が推察されるが現在調査中である。この時期の植木は感情の根源的な状態を造形化しようとしていたと考えれる(田中晴久)。また重要なことは毛利伊知郎氏も指摘しているように、初期作品には同時代ヨーロッパの動向にも関心がありアルプの影響を見ることもあれば、構成的にはピカソの彫刻との関連を見てとることもできる。しかし、木を彫り進むうちに、そうした海外作家のことは彼の眼中から消えて行き、一材から彫出された本作のような様々な姿のブロック状作品を見れば明らかだ。そこには誰もが考えなかった新しいフォルム探究の営みがある。植木は日本前近代の木彫に愛着を示しながらも、そうした世界を自由に飛び出して木による抽象作品という新局面を開拓したパイオニアであった。彼の作品には躍動する生命のかがやきが強く感じられる・・・・この作品に漢字一字の題名を付けるとしたら「 」。

 

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                二見利節 「玉ねぎなど」 1934 15号 油彩 キャンバス 第2回東光会展出品入選作

この時期の二見作品が残っていたとは驚きだ。それも出品作である。数年後には坂本繁二郎や木村荘八から絶賛されることになる二見の色が見て取れる。23歳の青年画家の貴重な初期作が、生まれ故郷のふたみ記念館に展示されるのもわるくない。二見も喜んでくれるはずだ。

 

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                            伊藤久三郎 無題 1964 3F キャンバス 油彩  レゾネ№118

2017年11月、伊藤久三郎没後40年を記念しての展覧会が横須賀美術館で開催された。Qファンにとっては待望の展覧会である。Qの凄さは絵好きにとっては周知の通りであるが、その実力はそれほど世間には認識されていない。1930年の初期出品作を蔵しているが、この作品は1960年前半の作品であり肺病の手術をし回復期にあった頃のものだ。「茨の道も金の道に」という意志が感じ取れる普遍性のある深い作品と感じている。

 

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                            小山田二郎 「海の幸」 1984 SM 油彩 キャンバス


 戦後を代表する幻想の画家小山田二郎(1914~1991)の『海の幸』図額 油彩 キャンバス サムホール 1984年に「東邦画廊」で開かれた「新作油彩画個展」の出品作 である。個人的には青木繁「海の幸」のオマージュと感じている。当時小山田は愛人と駆け落ち失踪 失踪中にも関わらず連絡を絶たなかった特定の画廊(フマギャラリーや東邦画廊など)でのみ作品の発表を行っていた。当時、小山田の所在は画廊主にも知らされず、作品の搬入も秘密裡に行われたと言う。
  昭和22年、自由美術家協会に入会 同27年、瀧口修造の推薦を受けてタケミヤ画廊で個展を開催、同年共に画家活動をしていたチカエと結婚 同34年、協会の方針に疑問を感じて退会 同46年、57歳の時に突如失踪、愛人(小堀鞆音の孫)のもとに奔る 以後の活動は特定の画廊(フマギャラリー・東邦画廊)でのみ行い、世間との関わりを断つ。
 若くしてシュルレアリスムに傾倒、瀧口修造の推薦を得、世間の注目を浴び、社会諷刺や攻撃的なまでの人間洞察を含むその絵画は画壇に鮮烈な印象を与え、その衝撃的な境遇と生き様、そして後に遺された作品群は今なお独自の光彩を放つ。

 

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                                 伊藤久三郎 「森の路A」 1970 4号 キャンバス 油彩

 

名古屋画廊での個展出品作である。見ていて飽きないQの不思議な世界が広がっている。見た夢を描くQの作品には、この世のものでない妙な現実感がある。あなたはどんな夢を描けるだろうか?

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                       小寺健吉 「五月の巴里郊外」 1928頃 15号 キャンバス 油彩

 
  佐分真が頼りにしていた先輩画家である。この時期はお互いに滞欧していた。香り立つ深い緑が美しい。

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                               小杉小二郎 「ろうそくと木馬の静物」 1975 40F   

ようやく待望の初期小杉作品が入手できた。銀婚式の記念としてT氏から廉価で譲って頂いたものだ。初の作品集(講談社1982年)にも掲載されている代表作である。一見して感じたのは、フレッシュな色合いとコンポジションは様々な過程を経て独自の画風に消化したばかりの新鮮さから感じられる印象なのだろう。小杉の評論は田中正史氏(日光市小杉放菴記念美術館)のものが優れており是非読んでほしい。それにしても初期小杉の優品は所在不明が多いという。次の出会いはいつになるだろうか?

 

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                                 山内滋夫 「撫子」30P キャンバス 油彩


藤沢の片瀬山にアトリエをもつ地元湘南の重鎮画家である。祖父である里見勝蔵作品の調査で知り合い懇切丁寧な対応に山内さんの人柄が出ている。数年に一度お会いする程度だが、お付き合いは意外と長くなった。日本では他に類例のないビビッとな作風は素晴らしい。

 

 

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                                                         東郷青児 「静物」 大正初期 4号 板 油彩 東郷青児鑑定委員会

 
新発見である。一瞥するや表現主義時代のカンデンスキーを彷彿させる。当時、東郷は山田耕作の交響楽団の練習場をアトリエとしており、その際、ドイツ帰りの山田耕作が持ち帰ったドイツ表現主義の美術書を見たに違いない。この作品のすぐ後から東郷はキュビズムや未来派の影響を受けた作品を次々に発表し時代の旗手として画壇に躍り出ることになる。この作品はその原点になる貴重な作例だ。研究者の今後に期待したい。